ジェフ・ベゾスの母、ジャッキーが彼を1964年1月に出産したとき、彼女は10代だった。その後、キューバ移民のマイク・ベゾスと再婚し、彼はジェフを自分の養子にした。ジェフは、自分が10歳になるまでマイクが本当の父親ではないことを知らなかった。当時はその事実より眼鏡が必要になったことに戸惑ったという。
ベゾスが4歳のとき、彼の母親は、かつてサーカスのパフォーマーとして働いていた彼の実の父親に対して、自分たちの生活には関わらないように言った。ブラッド・ストーン氏が自身の著作『The Everything Store(邦題:ジェフ・ベゾス 果てなき野望)』でベゾスの実父にインタビューをしたとき、 実父は実の息子が、こんなに立派に成長していたことを、全く知らなかった。
ベゾスは幼少期から非凡な才能を見せていた。 幼い彼はネジ回しで自分のベビーベッドをばらばらにしてしまった。というのも、彼は大人が使うベッドで寝たかったのだ。
4歳から16歳まで、ベゾスはテキサスの祖父母の牧場で夏を過ごし、風車の修理や雄牛の去勢などの作業を行った。
彼の祖父、ローレンス・プレストン・ガイスは、ベゾスに大きな影響を与え、彼が知的探求へ情熱を傾けることに一役買った。2010年の年頭所感では、「賢くあるより、優しくあるほうが難しい」とガイス氏が教えてくれたと述べている。
ベゾスは『スタートレック』の再放送に夢中になり、その後の新エピソードのファンにもなった。会社設立初期の段階では、ジャン=リュック・ピカード艦長のセリフを引用して、Amazon MakeItSo.comという名前を考えていた。
学校で、ベゾスは「人類の未来は、この惑星にはない」と教師に語った。子どもの頃、彼は宇宙起業家になることを望んでいた。 現在、彼はブルーオリジン(Blue Origin)という航空宇宙会社を所有している。
ベゾスは10代の頃、マクドナルドで働き、つまらない夏を過ごした後、ガールフレンドと一緒に「ドリーム・インスティテュート(Dream Institute)」という10日間の子供向けサマーキャンプを企画した。参加費は子ども一人当たり600ドルで、どうにか6人を集めた。『ロード・オブ・ザ・リング』シリーズを必読書とした。
プリンストン大学に入学したベゾスは、コンピュータサイエンスを専攻した。大学を卒業したベゾスは、インテルとベル研究所からのジョブオファーを断り、Fitelというスタートアップに入社した。
Fitelを辞めたあと、ベゾスは、後にCNETを創設することになるハルシ―・マイナー(Halsey Minor)と一緒に、ファックスでニュースを配信するスタートアップをローンチする寸前までいった。
代わりに、彼はヘッジファンド運営のDEショー(D.E. Shaw)に転職し、そこで 彼は、わずか4年で上級副社長に昇進した。
一方、ベゾスは、彼が言うところの「ウーマン・フロー」を増やす計画の一環として、社交ダンスのレッスンを受講した。ウォールストリートの金融マン達が「ディール・フロー」を増やすプロセスを持っているのと同じように、ベゾスは女性との出会いについても分析した。
1993年、彼はDEショーのリサーチ・アソシエイト、マッケンジー・タトル(MacKenzie Tuttle )と結婚した。現在、彼女は小説家だ。
1994年、ベゾスはインターネットビジネスが1年で2300%成長したことを知った。この数字に彼は驚き、この急成長を利用する方法を見つけようと決心した。彼はオンラインで販売できる可能性のある20の製品をリストアップし、その中から書籍がもっとも成功する可能性が高いと判断した。
ベゾスは素晴らしい職務に就いていたのにもかかわらず、DEショーを辞める決断をした。
DEショーの上司は、説得して、辞職を諦めさせようとしたが、ベゾスはすでに自分の会社を設立することを決めていた。彼はまったく挑戦しないよりも、スタートアップで挑戦して失敗したほうがましだと考えていた。
そうして、アマゾンが誕生した。マッケンジーとジェフはテキサスに飛んで、父親から車を借り、シアトルに向かった。道中ずっと、ベゾスは助手席で収益予測を立てていたが、グランドキャニオンで日の出を見るため、車を停めることも忘れなかった。
ベゾスは、ダルマストーブを置いたガレージでAmazon.comを立ち上げた。ミーティングの大半は近所の大手書店チェーンのバーンズ・アンド・ノーブルで行った。
設立当初は、注文を受けるたびに鐘がオフィス内で鳴らされ、みんなが集まってその顧客が知り合いかどうかを確認した。その鐘が頻繁に鳴るようになり、数週間で鳴らすのを止めた。
アマゾンを立ち上げてから最初の1カ月で、アメリカの全ての州と45カ国の人々に書籍を販売した。会社は成長し続け、1997年5月15日に株式を公開した。
ITバブルが崩壊したとき、アナリストは同社を「Amazon.bomb(爆弾)」と呼んだ。しかし、アマゾンはその混乱を乗り切り、ITバブル崩壊で消滅をまぬがれた数少ないスタートアップの一社となった。
アマゾンの株価は、ITバブル崩壊後も上昇を続けている(つい最近の調整局面に入るまで)。今では、本の販売だけでなく、電化製品、衣類、クラウドコンピューティングのサービスも含め、想像できる商品は、ほぼすべてを販売している。
ジェフ・ベゾスは非常に厳しいボスで、社員に対して感情を爆発させることもあった 。噂では、ベゾスはリーダーシップのトレーナーを雇って、自分の感情を抑えようとしたという。
ベゾスはパワーポイントを使用したプレゼンテーションを禁止していることで有名だ。社員に対して、単純化した箇条書きの代わりに、批判的思考(クリティカル・シンキング)を奨励するために、提案を6ページにまとめることを求めている。
ベゾスは、食事やマッサージのような特典を無償提供しない 、倹約的な企業文化を創っていることでも知られている。
1998年、ベゾスはグーグルの初期の投資家となった。彼は25万ドル(約2800万円)を出資した。これは、2004年の株式公開時には約330万株式に相当し、今では約22億ドル(約2450億円)の価値がある(ベゾスは、グーグルの株式公開後、それらの株式を今でも保有し続けているかについては言及していない)。
ベゾスは自分のすべてのお金を何に使うのか? 2012年、彼はワシントン州で同性結婚の権利の擁護のために250万ドルを寄付した。
ベゾスは4200万ドルと所有するテキサス州の土地の一部を、1万年の時を刻み続けるようデザインされた地下時計「The Clock Of The Long Now(ザ・クロック・オブ・ザ・ロング・ナウ)」の建設のために寄付している。
航空宇宙事業のブルーオリジンは昨年、再使用ロケット打ち上げに成功した最初の民間企業の1社なり、歴史的な偉業を遂げた。
ベゾスの飛行への関心は、過去には自身をトラブルに巻き込んだ。2003年、ベゾスはテキサスの片田舎で、ブルーオリジンのテストローンチ施設の場所を探している最中にヘリコプター墜落事故に遭い、危うく命を落とすところだった。
しかし2016年初め、彼は自家用ジェットをドイツに飛ばし、イランで拘束されていたワシントン・ポストの記者を引き取り、連れ帰った。
ベゾスは、シアトルのワシントン湖に5.35エーカー(約2万1650平方メートル)の土地を、200ヤード(約183メートル)の湖岸線を含め所有していると言われている。
彼は2007年、ビバリーヒルズの7つの寝室がある大邸宅を2450万ドルで購入した。敷地内には温室、テニスコート、プール、ゲストハウスがあり、近所にはトム・クルーズの邸宅がある。
ビバリーヒルズにあるベゾスの邸宅
Dream Homes Magazine
出典:フォーブス
2017年1月、ベゾスはワシントンD.C.のカロラマ地区にある旧織物博物館を購入した。売り値は2300万ドルで、ワシントンD.C.で最も大きな建物だ。
ベゾスはニューヨークのセンチュリータワーに、合計1万平方フィート(約929平方メートル)の3戸を連結させたマンションを所有している。
株式公開からちょうど20年、アマゾンの時価総額は4570億ドルに達した。バークレイズは、アマゾンが最初の1兆ドル企業になるかもしれないと予測した。
3月、ベゾスはビル・ゲイツに次いで、世界2位の富豪となった。810億ドル(約9兆円)を超える純資産を所有し、ベゾスは1位に迫っている。
ベゾスはこれからも新しいアイデアを試し続けるだろう。Business Insiderのインタビューで、ベゾスはこう述べている。「真の問題は、新しいことに挑戦しない、失敗から学ばない企業である。そうした企業は、存続をかけた最終局面で、アメフトのヘイルメアリーパスのような一か八かの賭けに出ることしかできない絶望的な状況に陥るだろう」
コメントを残す